ペリーの黒船来航は予告されていた?

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黒船来航

黒船来航(くろふねらいこう)とは、嘉永6年(1853年)に、代将マシュー・ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が、日本に来航した事件。

引用:Wikipedia

誰もが学校の歴史の時間に習ったであろう「黒船来航」。

この黒船を観た坂本竜馬や吉田松陰によって、明治維新が始まったと言われています。

当時の日本に突然見たこともない巨大な船が来たら驚きますね。

しかし、最近この黒船が来ることを江戸幕府は1年前から知っていたかもしれないという文献がでてきたようです。

「別段風説書」

黒船が日本に来る前年、1852年に長崎にある出島のオランダ商館長が「別段風説書」という文書を長崎奉行に提出しました。

毎年、オランダ領東インド政庁が海外情報を記した書面を作成し、幕府に提出していたものだそうです。

1852年に提出された「別段風説書」に、米国政府が日本に使節団を送る計画を立てているという内容の文章が見つかりました。また、その文章に印がつけられていることも分かったそうです。

このことから、幕府は重要な文章であると認識していたことがわかります。

しかし、経済的に苦しかった江戸幕府は防衛対策を立てることができず、黒船が来てしまい、結果的に幕府が滅びるきっかけとなってしまいました。

黒船が来なかったらどうなっていた?

※筆者の個人的な意見になります。

今も鎖国が続いていた?

黒船来航がきっかけで開国したのだから、黒船が来なかったらずっと鎖国し続けてたとも考えられます。

しかし、当時からロシアをはじめとする諸外国の干渉があったので、遅かれ早かれ開国されていたのではないでしょうか。

江戸幕府が存続した?

江戸幕府が始まってから約200年間戦争もなく平和な世の中でした。これは世界史的に見ても稀なことです。幕藩体制によって維持されていた平和といえるでしょう。

それが、黒船来航によって一気に崩れたといえます。

その黒船来航がなかったら江戸幕府は存続していたといえるかもしれませんが、そうとも限りません。

1853年頃は徳川家をはじめとして、どこの藩も財政難になっていました。また、国外の情報もどんどん日本に入る時代になっていたので、遅かれ早かれ明治維新のような運動が起こり幕府は倒れていたと思います。

経済がかなり遅れていた?

黒船来航をきっかけに明治維新が起こり、明治時代にはいると国外の文化をとりいれ、経済成長を遂げました。

結果的に黒船来航が経済成長のきっかけとなったと考えると、黒船来航がなかったら、日本の経済はかなりおくれていたかもしれませんね。

教科書に変な落書きをされることがなかった?

小学校の歴史の教科書に載っている顔写真といえば落書き。

ペリーが日本に来ていなかったら、歴史の教科書に載ることもなかったので、小学生の遊びが一つ減っていたことになります。

まとめ

「もし○○がなかったら~」と考えるのは無駄かもしれませんが、こんな未来もあったのかと考えると少し楽しいですね。

また、歴史の謎がちょっとした資料から解明されたり、実はこんな思惑があったのでは、などわかっていくのも楽しいです。

たまには、歴史の記事もいいかなと思い投稿してみました。

 「黒船」という言葉には、日本人が初めて見た蒸気軍艦への恐れと強い関心が伝わってくる。日本を開国させた歴史的事件として語られる米国ペリー艦隊の来航。だが、知られていない事実も数ある。 1853年7月、…

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